※以下は実際の事故事例をアレンジした創作です。
文中の人物名、地名、社名などは全て仮名若しくは架空のものです。
事故の瞬間
夕暮れが迫る秋の午後、S藤誠一(69歳)は、いつもと変わらない退社時間を迎えていた。
金属製造会社「Hメタル工業」で40年以上勤め上げ、定年後も継続雇用で経理を担当する彼は、若い社員たちからも頼りにされる存在だった。
「S藤さん、お先です」
「ああ、気をつけて帰れよ」
後輩との日常的な会話を交わしながら、誠一は自分の車が停めてある従業員駐車場へと向かった。
季節は確実に冬へと向かっており、日が落ちるのも随分と早くなっていた。
その日は月末で、翌日の支払い処理の準備に追われ、少し疲れを感じていた。
ハンドルを握り、シートベルトを装着する動作も、40年来の習慣で自然と体が覚えていた。
「今日は早めに帰って、風呂にでも浸かるか…」
そう考えながらエンジンをかけ、ゆっくりとバックで車を出す。
バックミラーには、オレンジ色に染まった空が映っていた。
右に切り返してギアをドライブに入れ、出口に向けてアクセルを踏んだ瞬間だった。
「!?」
突如として、左側から人影が飛び出してきた。
瞬間的なことで、ブレーキを踏む間もなく、「ドン!」という鈍い音が車体を震わせた。
誠一の視界に映ったのは、黒っぽい上着を着た高齢の男性の姿だった。
その体が、スローモーションのように宙を舞い、そして駐車場の地面に叩きつけられた。
「あ…ああ…」
パニックに陥りながらも、誠一は即座にブレーキを踏み、ハザードランプをつけた。
震える手で携帯電話を取り出し、「119」を押す。
「あ、あの…事故です。人をはねてしまいました…場所はF岡町のHメタル工業の従業員駐車場です…はい、相手の方は動いていません…」
救急車のサイレンが聞こえてくるまでの数分間、誠一は倒れている男性に声をかけ続けた。
男性は全く反応を示さず、かすかに呼吸をしているのが確認できる程度だった。
「大丈夫ですか?しっかりしてください!」
周囲から人が集まってきて、誰かが毛布を持ってきてくれた。
誠一は、自分が何をすべきか分からないまま、ただその場に立ち尽くしていた。
警察が到着し、事情聴取が始まった。
「はい…私の不注意です。急に現れて…いや、私がちゃんと確認すべきでした…」
事故から数時間後、警察署での事情聴取を終えた誠一は、自宅に戻ることを許された。
しかし、彼の心は事故現場に置き去りにしたままだった。
被害者の男性は救急車で病院に搬送されたが、意識不明の重体という言葉が、重いハンマーのように彼の心を打ち続けていた。
H市の自宅に戻る道すがら、助手席に置いた携帯電話が震えた。
病院からの連絡だった。
「S藤さん、被害者の方の容態についてご報告があります…」
病院からの電話を受けながら、誠一の手は震えが止まらなかった。
「被害者の男性は、頭部を強く打撲しており、現在も意識の回復は見られません。ご家族の方には既に連絡が付き、病院に向かわれているとのことです」
電話を切った後、誠一は路肩に車を停め、深いため息をつく。
長年の社会人生活で培った冷静さも、この状況では役に立たなかった。
家に戻ると、妻の良子が心配そうな顔で玄関に立っていた。
会社の同僚から連絡があったのだろう。
「お父さん…大丈夫?」
「ああ…いや、大丈夫じゃない」
誠一は力なく座り込んだ。
「明日、保険会社に連絡しないと」
良子が言った。
誠一は無言で頷いた。
これまで40年以上の運転歴で、大きな事故は一度もなかった。
しかし、いつも「もしも」の時のために任意保険には加入していた。
ここで筆者体験です。よろしければご参考に。
翌朝、誠一は保険会社に連絡を入れた。
担当者の冷静な対応に、少し心が落ち着いた。
「被害者の方やご家族との示談交渉は、私どもで対応させていただきます。S藤様におかれましては、お気持ちは大変お察ししますが、ご自身の心身のケアも大切にしてください」
その言葉に、誠一は思わず目頭が熱くなった。
事故の記憶が、まだ生々しく脳裏に焼き付いている。
「私が…私がもう少し注意していれば…」
良子が黙って夫の背中をさすった。
結婚して40年、誠一のこんな姿は初めて見た。
その日の午後、警察から連絡があった。
被害者の身元が判明したという。
Y田昭夫さん、78歳。
近所に住む息子さん家族と同居していて、認知症の初期症状があったという。
事故当日は、夕方の散歩の途中で道に迷ってしまい、たまたま会社の駐車場に入り込んでしまったらしい。
その話を聞いて、誠一の胸が更に締め付けられた。
自分の父も認知症で苦労した経験があった。
他人事とは思えない。
むしろ、自分の将来の姿を見ているような気がした。
「Y田さんのご家族に、どう謝罪すればいいのか…」
被害者家族との面会
誠一は机の上のカレンダーを見つめた。
10月31日。
この日付が、永遠に消えない傷として心に刻まれるだろう。
保険会社からは、示談交渉の進め方について詳しい説明があった。
補償内容や今後の進め方について、一つ一つ丁寧に説明を受ける。
「もしもの時の備え」という言葉の重みを、誠一は身に染みて感じていた。
事故から1週間が経過した。
Y田さんは一時は危険な状態だったが、幸いにも容態は少しずつ安定してきているという知らせが入った。
ただし、意識の回復にはまだ時間がかかるかもしれないとのことだった。
保険会社の担当者から、Y田家との面会の日程が決まったという連絡を受けた。
誠一は何度も謝罪の言葉を心の中で反芻した。
病院の面談室。
Y田さんの息子さん夫婦が入ってきた。
誠一と良子は深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございませんでした」
息子さんは疲れた表情で椅子に座った。
「父は最近、認知症の症状が出始めていて…あの日も私たちが目を離した隙に出かけてしまって…」
息子さんの言葉に、誠一は首を振った。
「いいえ、私の不注意です。もっと慎重に運転すべきでした」
意外にも、Y田家は責めるような態度は見せなかった。
むしろ、高齢者の運転や認知症の問題について、同じ世代として理解を示してくれた。
「S藤さん、これからも安全運転を心がけていただければ…父の件は保険の方で対応していただけるそうですし」
その言葉に、誠一は再び深く頭を下げた。
保険に入っていて本当に良かった。
示談交渉や補償の話は、全て保険会社が専門的に対応してくれている。
ここで筆者体験です。よろしければご参考に。
それから2ヶ月後、Y田さんは意識を取り戻し、リハビリに入ることができた。
誠一は保険会社を通じて、その報告を受けた時、思わず声を上げて泣いた。
年が明け、誠一は会社に退職届を提出した。
「もう、運転に自信が持てなくなりました」
同僚たちは引き止めたが、誠一の決意は固かった。
事故の影響で不眠に悩まされる日々が続き、心療内科にも通院していた。
ただ、この経験は誠一に新たな使命を与えることになった。
地域の交通安全協会でボランティアとして、高齢者の交通安全や認知症に関する啓発活動に携わるようになったのだ。
「事故は防げても、高齢化は避けられない。だからこそ、私たちにできる備えを、しっかりとしていかなければ」
講習会で誠一はそう語りかける。
任意保険の大切さ、運転に不安を感じたら免許を返納する勇気、家族で支え合うことの重要性—。
自らの経験を、社会に還元していくことが、償いの一つの形なのかもしれない。
春の訪れを感じる3月のある日、誠一は久しぶりにY田さんの様子を伺った。
病院のリハビリ室で車椅子に座るY田さんは、誠一を見ても特に反応を示さなかった。
それでも、誠一は定期的に様子を見に来ることを決めていた。
「Y田さん、また来ますね」
帰り際、誠一は病院の窓から見える桜のつぼみを見上げた。
人生は、いつ何が起こるか分からない。
だからこそ、できる備えはしっかりとしておかなければならない。
そして何より、日々の暮らしの中で、感謝の気持ちを忘れてはいけない。
誠一は、ゆっくりと歩き始めた。
春の柔らかな日差しが、その背中を優しく照らしていた。
あとがき
40年にわたり建設コンサルタントの営業として交通事故データの収集・分析に携わってきた経験から、この物語を執筆しました。
私は実務により深く関わりたいという思いから、営業職でありながらRCCM(シビルコンサルティングマネージャ)の資格を道路部門を含む4部門で取得し、現場の視点も大切にしてきました。
数多くの交通事故データを見てきた中で、特に高齢者が関わる事故の増加は看過できない問題だと感じています。
今回の物語では、加害者と被害者の双方が高齢者であるケースを描くことで、現代社会が直面している課題をより鮮明に描こうと試みました。
事故の統計的なデータだけでなく、当事者たちの心の機微にも焦点を当てることで、交通事故が人生に及ぼす影響の大きさを伝えられればと思います。
この物語が、交通安全への意識を高め、備えの大切さを考えるきっかけになれば幸いです。
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