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最後の運転 ―高齢ドライバーのてんかん事故から考える運転免許返納の決断―

生活

高齢者の運転事故|実話に基づく自動車事故防止啓発ドキュメント

『最後の運転』

※以下は実際の事故事例をアレンジした創作です。
文中の人物名、地名、社名などは全て仮名若しくは架空のものです。

 

「今日は良い天気だな」

M下勇一(73)は、いつものように朝食後に薬を飲んだ。

妻の恵美子が用意してくれた4種類の薬を、水と一緒に飲み込む。

てんかんの治療薬も含まれている。

 

「お父さん、本当に一人で大丈夫?」

「何度も言うけど大丈夫だって。もう何十年も運転してるんだから」

 

K県の自宅を出発する前、娘の美咲からLINEが届いた。

最近は家族全員が過保護すぎると、勇一は少し苛立っていた。

確かに一年前に小さな発作があったが、それ以来、きちんと服薬を続けている。

医師からも運転は控えめにと言われていたが、禁止はされていなかった。

 

M県の取引先まで車で2時間。

以前なら何とも思わなかった距離だが、最近は少し疲れを感じるようになってきた。

それでも、公共交通機関より車の方が気楽だ。

 

国道〇〇号線を北上する。

穏やかな春の日差しが、フロントガラスを通して車内を温める。

海岸線に沿って走る道は、勇一の お気に入りだった。

 

「あと30分くらいかな」

 

M市内に入り、見慣れた街並みが視界に入ってきた。

時計は午後2時40分を指している。

 

その時、微かな違和感が走った。

「ん…」

視界が僅かにぼやける。

いつもの薬の副作用かもしれない。

一瞬、ハンドルを握る手に力が入らなくなった気がした。

 

「大丈夫、大丈夫…」

 

そう自分に言い聞かせた時、突然、全てが暗転した。

 

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事故の直後

 

次に意識が戻った時、勇一の目の前には想像もしていなかった光景が広がっていた。

 

割れたフロントガラス。

展開したエアバッグ。

そして、辺りを走り回る人々。

サイレンの音。

 

「あ…ああ…」

 

混乱する頭の中で、恐ろしい現実が少しずつ形を成していく。

 

自分は、発作を起こしたのだ。

そして、制御を失った車は…

 

「どうか…どうか…」

 

祈るような気持ちで周りを見渡すが、道路には救急車が何台も止まっていた。

警察官が走り回っている。

上空にはヘリコプターまで飛んでいる。

 

その時、胸に激しい痛みが走った。

それは体の痛みではなく、取り返しのつかないことをしてしまったという深い後悔の痛みだった。

 

「家族の言う通りにすれば…」

 

涙が頬を伝う。

でも、もう後の祭りだ。

 

記者たちがカメラを構えている。

パトカーのライトが点滅を続けている。

救急隊員が慌ただしく動き回っている。

 

そして勇一は、これが自分の人生最後の運転になることを悟った。

 

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事故から一週間後

 

病室のテレビでは、この事故のニュースがまだ流れていた。

死亡した2名の女性、重軽傷を負った方々の情報が次々と報じられる。

勇一は目を背けることができなかった。

 

「お父さん、保険会社の人が来てるわ」

 

美咲が病室に顔を出した。

てんかんの発作による事故とはいえ、過失運転の責任は免れない。

 

「もし任意保険に入っていなかったら…」と勇一は震える手で額を押さえた。

幸い、妻の強い勧めで充実した補償内容の自動車保険に加入していた。

ここで筆者体験です。よろしければご参考に。

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『備えあれば憂いなし。大切な家族を守るためにも、保険の見直しは定期的に。』

という保険会社のCMが、今では痛いほど心に響く。

 

「M下さん、お話しできる状態ですか?」

警察の刑事が病室に入ってきた。

もう何度目かの事情聴取だ。

「はい…」

「主治医の先生から、てんかんの治療歴について報告がありました。運転する際の注意事項は説明されていましたか?」

 

勇一は黙ってうなずいた。

医師からの指導は確かにあった。

でも、その警告を軽く考えていた自分がいた。

長年無事故で運転してきた自信が、慢心を生んでいたのかもしれない。

 

「なぜ…なぜあの時、運転しようと…」

 

妻の恵美子が泣きながら問いかけてきた。

先週まで普通に暮らしていた日常が、もう戻ってこないことを、家族全員が実感し始めていた。

 

「あのね…」勇一は言葉を探した。

「自分はまだ大丈夫だと思ってた。他人に迷惑をかけるなんて…まさか…」

 

言葉が途切れる。

被害者やその家族のことを考えると、胸が締め付けられる。

 

「お父さんの薬の内容、もっとちゃんとチェックすれば良かった」

 

美咲が自分を責める。

 

しかし、それは違う。

全ては自分の過信が招いた結果だ。

 

「明日、被害者のご家族が面会に…」

 

恵美子の言葉に、勇一は目を閉じた。

何を謝れば良いのか。

どんな言葉を掛ければ良いのか。

 

病室の窓からは、穏やかな春の日差しが差し込んでいた。

事故の日と同じような天気。

でも、もう何もかもが変わってしまっていた。

 

そして勇一は、これから始まる長い償いの日々に向き合う覚悟を、静かに胸に刻むのだった。

 

 

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事故から1年後の春

M県地方裁判所の法廷で、判決が言い渡された。

禁錮3年、執行猶予5年。

被害者への賠償金は保険でカバーされる範囲が大きかったものの、追加の損害賠償は避けられなかった。

『人生の予期せぬ事故から、あなたと大切な人を守る。充実した補償内容で安心をお届けする自動車保険』

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かつて目にした保険会社のパンフレットの文句が、現実となって突きつけられていた。

 

「被告人は、持病のてんかんの危険性を認識しながら、漫然と自動車の運転を行った…」

裁判長の声が響く中、勇一は深く頭を垂れていた。

 

判決後、被害者の遺族の一人が勇一に近づいてきた。

亡くなった50歳の女性の夫だった。

 

「M下さん」

 

勇一は覚悟を決めて顔を上げた。

 

「私たち…もう許すことに決めました」

 

思いがけない言葉に、勇一は言葉を失った。

 

「妻も、きっとそれを望んでいると思うんです。ただ…約束してください。あなたの経験を、同じような人たちに伝えていってください」

 

涙を堪えながら、勇一は深々と頭を下げた。

 

 

それから半年。

勇一は地域の交通安全講習会で、自身の経験を語り始めていた。

 

「私は…あの日、家族の制止を振り切って運転しました。『まだ大丈夫』という過信が、取り返しのつかない結果を招いたのです」

 

聴衆の中には、高齢ドライバーも多い。

みな、真剣な面持ちで耳を傾けている。

 

「『運転できなくなったら不便になる』。そんな思いは、私もよく分かります。でも…それは言い訳にはならないのです」

 

講演を終えて外に出ると、桜が咲き始めていた。

 

運転免許は既に返納した。

バスや電車での移動は確かに不便だ。

でも、それは小さな代償だった。

 

「お父さん、お疲れ様」

 

迎えに来た美咲が手を振っている。

 

「ありがとう」

 

車に乗り込む時、勇一は空を見上げた。

あの日と同じような青空が広がっている。

でも、もう二度と、あの過ちは繰り返さない。

 

それは、亡くなった方々への、そして生きている人々への、永遠の誓いなのだ。

 

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あとがき

40年間、建設コンサルタントの営業として全国各地の交通事故データと向き合ってきた私にとって、今回の事例は他人事ではありませんでした。

数字の羅列として扱ってきた事故データの一つ一つに、このような人間ドラマが存在していたことを、改めて痛感させられました。

道路部門をはじめとする4部門のRCCM(シビルコンサルティングマネージャ)として、私は常々、事故予防のためのインフラ整備の重要性を訴えてきました。

しかし、今回の取材を通じて、ハード面の整備と同時に、私たち一人一人の意識改革もまた重要であることを実感しています。

この物語が、高齢ドライバーの方々やそのご家族の方々の、何らかの判断材料になれば幸いです。

 

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