2020年2月11日、野村克也さんが亡くなったという報が入りました。
この日未明に病院に搬送され、その後死亡が確認されたということです。
現段階、死因は発表されていませんが、浴槽でぐったりしているところを家政婦さんが発見したのだそうです。
野村克也さんの偉大性
野村克也さんと言えば、「ノムさん」の愛称で知られ、野球ファンのみならず老若男女に親しまれた有名人です。
一昔前は沙知代夫人(故人)の尻の下に敷かれるダメパパのキャラでテレビのバラエティ番組などにもよく出演されていました。
野村克也さんはプロ野球の一時代を牽引してきたスーパースターであったのです。
本人も言っていた通り、
「王、長嶋はひまわり。俺は月見草。」
という立ち位置を認識されていましたね。
南海時代の野村克也さん(出典:wikipedia)
しかし、だからこそ王、長嶋、巨人、セ・リーグに対するライバル心は強く、生涯を通じて打倒王、長嶋、巨人に燃えていたのでしょう。
野村克也さんは南海の現役時代、8年連続本塁打王に輝き、1965年には戦後初の三冠王も達成しています。
同時代にセ・リーグでは王貞治、長嶋茂雄が文字通り華々しく活躍していましたので、地味なパ・リーグにいて自分の立ち位置を考えたときなお一層のライバル心が燃えたのかもしれません。
野村さんの球歴についてはとても語り尽くせません。
スポーツ紙などで振り返ってみてください。
野村克也さんの遺産の行方は!?
野村克也さんには亡妻沙知代さんの連れ子のダン野村氏、ケニー野村氏、沙知代さんとの間に野村克則氏という息子さんがいます。
金額はともかくこのあたりの方に相続されていくのでしょうね。
ベルサーチなどのブランド物で身を固めていた野村さんの粋な姿は印象に残っていますから、遺産も相当なものだろうと想像するのはゲスの勘繰りでしょうか。
野村克也さんが提唱するID野球
しかし、野村さんが監督になられてからはその理屈っぽさに妙に惹かれるようになった方は多いのではないでしょうか。
野村さんは南海 、ヤクルト、阪神、東北楽天とプロ野球の監督を務めています。
南海時代には選手兼監督、いわゆるプレーイング・マネージャーとして活躍されましたね。
で、その監督時代によく口にされていたのが「ID野球」ということばです。
ID野球・・・何でしょうか。
Important Dataの略だったんですね。
要は「データ重視」です。
言われてみれば何ということはないことばなのですが、ノムさんが言うと妙に「なるほど」と感心してしまうんです。
「さすが、ノムさんはえらい監督だ。言うことが違う。」
なんてですね。
いや、どこの監督でも少年野球のコーチでもデータは重要視しているだろう、ってなもんですが、ノムさんが言うと違って聞こえるんですね。
打者に、三振を減らすことや状況に応じたバッティングができるようデータを指し示しながら指導し徐々に成績を上げさせることに成功しました。
ヤクルトの監督時代にはドラフト2位で獲得した古田敦也捕手を徹底指導し、ID野球の申し子として一流の選手に育て上げました。
この流れは後に「野村再生工場」と言われる選手復活劇にも生きてきていましたね。
ヤクルトの監督時代の小早川毅彦選手(元広島)、楽天時代の山崎武司選手(元オリックス)などノムさんが再生させた選手は多いです。
小早川選手には「配球を読む」ということを徹底的に教え込んだそうです。
それまで彼は持ち前のパワーと天性で「来た球を打つ」という姿勢で成績を残してきたのですが、それだけではいけないということを教え込んだのだそうです。
結果、見事に再生しました。
また、阪神時代の遠山昭治投手は見事でしたね。
当時の巨人には松井秀喜選手と高橋由伸選手という左の強打者2枚看板がいました。
他の球団はどこもこの2選手に手を焼いていたわけですが、阪神監督の野村克也さんは遠山投手を彼ら左打者専門のワンポイントとして起用し始めたのです。
ただ、遠山投手にはストレートとスライダーしか球種がなかったため、シュートを覚えさせたというのです。
この武器により遠山投手は「松井キラー」として名を馳せるようになったのです。
このように人材を活かす、その術が野村克也さんの最大の魅力だったのではないでしょうか。
早速、著書を買いに行こうと思います。
合掌